2008年10月17日

つくば市の環境関連政策(番外)

バスの話の続きを少し。

関東鉄道バスは、ミクロ的(交通利用者)視点からもかなり低い評価を得ていると以前の記事で書いた。さらに踏み込むと、乗客と接する運転手の態度のレベルの低さが明らかにされる事例がいくつもある。

仮にもプロの運転手なら、乗客が身の危険を感じるほどの急発進・急停車は防げるであろうが、それが日常的と聞く。少し古い例になると、車道を走っていたバイクに幅寄せして妨害したり、他の車を挑発したりする運転手もいたらしい。筑波大の学内バスが大学直轄(?)から関東バスに変わってドライバーの対応がガタ落ちしたというのは、大学に長く在籍する知人の弁である。


極めつけかつ現在進行形の事例は、車椅子利用者への態度だ。

市内を走る路線バスの中に「ノンステップバス」が混ざっていることをご存じの方は多いと思う。すべてのバスに車椅子利用者が乗れないこと自体がおかしいのだが――ここに第一の欠陥がある――、車椅子利用者はノンステップバスを選んで乗らざるを得ない状況である。

通常のバスでも、一定の設備とドライバーの対応によって車椅子での乗車は可能であることを付記。

利用者にとってまず直面する問題は、時刻表の便のうちどれがノンステップ車両かわからないという点だ。バス停の時刻表には一応の表示がされているものの、それが守られていないそうだ。「ノンステップ」の表示がされているにもかかわらず通常のバスが着いてドライバーに乗車拒否されるとのことである。

さらには、幸運にもノンステップバスが来た場合でも、“ドライバーが車椅子用リフトの出し方がわからない”という理由で拒否されることがあるという。社員教育という概念があるのか疑問を抱かせる・・・というよりも、形として現れない限りにおいて意味ある教育はなされていないと言うべきだ。


このような態度は、「バス黄金時代」の名残と言われる。“古きよき”昭和の時代には、バスドライバーはいくらサービスが悪くとも人々がお金を払い感謝されていたそうな。もはや社会主義経済である。


どんな形であれ、公共交通を利用する際に利用者が不快感を覚えるというのは――この"高度な快適さ"が求められる現代においては言うまでもなく――単純に利用者を減らすだけである。その結果人々はクルマに頼らざるを得なくなり、個々のクルマの台数の増大により環境負荷の総計が膨張し、慢性的に渋滞が発生している。それぞれのクルマに空席を3つずつ設けて、その外殻だけで道路を埋めているのは愚かではないだろうか?


この問題の構造と、解決策はこの悪循環を逆回転させればいいという二つのことはもはや自明だ。
著者はある程度真剣に、どこかの投資会社が関鉄バスをM&Aしないかと考えている。株を買って経営権を握り、経営の質を向上させて株式価値を高めるというのは、株式会社制度の本質だからだ。


旧来の考え方で言えば以上は私企業の領域であろうが、公共性の観点から考えて野放しにしておくべきでないと見て言及した。公害と同じ構造とも言える。

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